「ラッキードッグ1」ショートストーリー
『BitterSweet Symposium』
2015.04.01~

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◇    ◇

「……なあ、ジャン。コーヒーもう一杯――……ん? おい、ジャン」
「…………」
「ん。気分悪いのか」
「ハハ、寝ちゃってるか。今日は、いや、昨日から動き詰めだっただろうからな」
「そこにアレだけ飲んだからな。どうする、起こすか」
「――そのままでいい。座ったままの、この姿勢なら大丈夫だ。嘔吐や転倒の危険もない。……俺が見ている。休ませて、あげよう」
それもそうだな――
誰ともなく、そう言うと……。
さっきまで、先代の敵のように酒をくらい、料理をむさぼり、煙草で喉を洗っていた男たちは――ふと、深い水の底に一瞬で沈んだかのように静かになった。
「…………」
ジャンの寝息が、呼吸が聞こえる――そう思った男たちは、すぐにその音が、再び降りだした雨の、深夜の雨の音だと気づいて、また深い沈黙の中に沈んだ。
――宴は、静かに続く。
「ああ、クソ。またちっと冷えてきたな。暖炉に薪食わせとくか」
イヴァンが席を立つと、腕時計をちらと見てベルナルドも動く。
「……もう一度、本部に電話をしてくるか。すまん、ジャンを見ててくれ」
「俺は小便をしてくるか。ああ、さすがに眠いな。顔も洗ってくる」
男たちが、ぞろぞろ席を立ち、歩いて行ってしまうと――
「――…………」
ジュリオが、わずかに胸と喉を動かし、座ったまま眠り込んでいるジャンの姿を、寝ていると子供っぽく見えるその顔を、流れている金の髪を見つめて――
「……ありがとう、ございます……」
暖炉の方で、熾き火の中で新しい薪がばちっと爆ぜる音がする。その暖かなゆらめきの前でしゃがんでいるイヴァンの背に、ジュリオは声を投げた。
「すまない、イヴァン。ジャンさんにかける、毛布か何かを持ってきてくれないか」
「……。はっ? んあ、ああ。はい。毛布か、どこにあったかなあクソ……」
座ったままうつらうつらしていたイヴァンが、上の階へ続く階段の方へ行ってしまう。
その足音が消えると……。
「…………」
深海の底に降り積もるような、雨音。その中に暖炉の炎の揺れる音と、そして眠りの浅くなったジャンが漏らした寝息が、ゆっくり重なり、消え、そしてまた重なる。
「――……」
ジュリオは、この僥倖に、思いもかけなかったこの――ジャンと二人だけになるというこの奇跡の一時の中、狂ってしまいそうな恍惚を胸の中に押し込めながら主人のことを守り続ける。
「……ずっとこのままなら――」
ありえないが、在り得ないそのことが、死んでしまいそうに悲しい。
だから、この幸福と幸運を、しっかり握りしめ……たい……。
「……ッ……俺は――」
ジュリオは、自分でも気づかないうちにジャンの方に伸びてしまっていた自分の手指に気づき、それを痙攣するほどの力で持って引き戻す。
はやく、ベルナルドたちが戻ってくればいい。そんな、矛盾したことを願う。
……ベルナルドはまた長電話か。なにか不祥事でもあったのだろうか。
……ルキーノのやつ。強がっているが、トイレでのびているんじゃないだろうな。
……イヴァンはいつまで毛布を探しているんだ。その毛布で寝ているんじゃあ。
また、手が動きそうになった。これ以上いけない。
「――……!!」
ジュリオは、目の前に置き去りにされ忘れられていた、誰のグラスだろう――テネシーウィスキーが並々と注がれているショットグラスを、見つめた。
もし、酔いつぶれることができたら楽なのかもしれない。
そんなことは、試したこともなかった。それに自分が酩酊したら、誰がジャンさんを守る?
だが――
「……カッツォ」
ジュリオは、何か薬でも流しこむようにしてそのグラスの中身を、ひと息で干した。


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