「ラッキードッグ1」ショートストーリー
『BitterSweet Symposium』
2015.04.01~
◇ Luchino awake ◇
……落ちる。いや、落ちた――全てが収縮するような、落下の感覚。
「……! っ、うわ……」
一瞬で、目が覚めた。目が覚めたが、全てがボンヤリとして不快で、体中が痛むようで、そして何もわからない。ただ……自分が、どこかから落っこちる夢を見てその架空の落下の加速で夢から覚めたのだけは、わかる。
またぼやけている頭に血が回ると……まず気づいたのは、自分が酔っ払っていること。その次に、自分がトイレの便座に腰を下ろしたまま、ということ。トイレの薄暗い電灯の下で、自分がどれくらいのあいだか眠ってしまっていたこと。
「……くそ」
ルキーノは乾いてがさつく口で短く、吐き、そして……自分が、ズボンも降ろさず、ベルトもファスナーもきっちり締めたままで便座に腰を下ろしているのに、かなり遅れて気づいていた。
まだ酒が残っている、しかも最悪のタイミングの生酔いだ。
「……。……ファック、まじかよ、おい――」
かすれた罵声を吐いたルキーノは、粘着くような重いまぶたを動かす。
薄暗い電灯の、あかり。それが投げている自分の影が古びた床板を黒く覆っていた。壁のフックから伸びるいびつな、小さい影。数秒ぼんやりしてから、自分は、上着をどこにおいているんだ?と思い当たり、手が自分の体を叩き……また、口から英語の罵声が漏れる。
ルキーノはチョッキの胸元と緩んでいるネクタイを触って、そして、
「まさか……」
ギクッとして、便座にすわっていた彼の腰が、浮いた。
……まさか、酔っ払って――座って、ズボンも降ろさずにそのまま小便をしてしまったのでは!?
ありえない最悪の連想。だが、自分がここまで酔って前後不覚になることなど滅多にない、ルキーノは腰を浮かせたまま……暗い電灯の下でベルトを探る、が――
「……。ああ、クソ、カッツォ。何やってる、俺は……」
ルキーノの鼻腔に、便器の流しにたまった小便の臭いがふわり、刺さる。暗い明かりの下でも、そこには酒で罪深い色の濃さになった小便がたゆたっているのが見え――鼻にくるその臭気は独特の安心感をまとい、これを出したのはお前だと語っていた。
「……パッレ。あれしきの酒で――」
どうやら……ルキーノは、自分がこのトイレで小便をして。そして、楽になった下半身にズボンとファスナーを戻して、そしてそのまま少し休むか、煙草でもすおうかと思って便器に腰を下ろして。そして。
「……どれくらい落ちてた――くそ、あいつらに笑われるな」
まさか、自分がここで1時間も寝ていたわけはあるまい。もしそうだったら、他の連中のノックや罵声で自分はここから引きずり出されている。では……ほんの数分か、あるいは――
「カッツォ。身体がなまっていやがる……」
……年を食った。
その言葉が胸の底に波紋のように広がったが、ルキーノはそれを叩いて散らし、ここ最近の忙しさでまったく身体を鍛えていなかった自分をハラの中で痛罵する。
――戻るか。
まだ、あのテーブルでは飲みが、宴会が続いているはずだった。
おそらくイヴァンあたりにトイレが長いのを笑われ、ベルナルドやジュリオあたりは順番でここを使いに来る。少しタバコを吸いたくなったが、まあ、それはテーブルに戻ってから、でも…………。
「……っと――」
ルキーノが便座から腰を浮かし、左の視界の端でゆれていた水洗のチェーンを探ろうとした、そのときだった。
「な……?」
ガチ、と古い金具が噛み合い、離れる音が暗い照明の下にひびいた。
ルキーノはギクリ、チェーンを探っていた手を――目の前のトイレのドアへ、のばす。
……馬鹿な、カギをかけていなかったか?
……誰だ、カッツオ。俺が入ってることはわかってるだろうに、ノックも……。
ルキーノが無作法か、あるいはふざけているその仲間の誰かを痛罵しようと――
「……!? お、おい――」
「…………」
ギクリ、固まって……浮かせかけたその腰を、また便座の上におろしてしまっていたルキーノの目に、彼の目の前に、
「…………」
誰かが、いた。
ルキーノの耳に、古びた分厚い松材のドアが軋む音、そしてまた、トイレのドアノブと鍵が、真鍮の金具が仕事をする音を響かせたのが――忍びこむ。
電灯の灯りの下、この狭い空間の中に、腰を下ろすルキーノの目の前に。
「……おま、え――おい。おいって……」
いきなりここに入ってきたその男は、ルキーノの目の前で――そういう鉢植えの木か何かのようにスッと真っすぐ立ったまま、何も言わず、ただ……。
その姿を、顔をわずかに見上げる形になったルキーノは、だが。
「……っ、誰――」
やけに、電灯がまぶしい。逆光になっているかのように、その男の姿と、顔がよく見えない。この店、ビアンカネーヴェにいて、そして不躾にここに入ってくる相手だ、ルキーノがよく知る誰かのはず、なのだが――
「おい、ふざけて……」
「…………」
だが、その男は何も言わないまま――すうっと、靴音もさせずに動き、座るルキーノのたくましい両足のあいだに、趣味の良い靴、そしていい仕立てのスラックスで包んだ片足をそういうクサビのように割り込ませてきた。
「……? あ、ああ――おまえ、か……」
相手が、誰かわかった。わからいでか、だった。
その靴も、スラックスも。どちらも自分が選んでやった最高の――
「……くそ、ふざけんな」
ルキーノは、あることに気づいて――なぜか、目頭がじわっと来るほど安堵して、そして口からぶつぶつとパロラッチャを漏らす。
「ファンクーロ――やめろよ。まだ俺が入ってるだろうが。……ッ、ハハっ、それともなにか? 連れションでも……」
ルキーノは、自分がしゃべりすぎていることに気づいて、ハラの中で気まずく、照れる。
まさか、相手が……。
ルキーノが、その相手の名前を口にして、ここを出て交代しようと――その前に便器にたまった自分の小便を流そうとした……とき、だった。
「……な――お、おい、ジャン……?」
スウッっと、目の前の男が身をかがめ――音はするはずがないのだが、なぜか、幾重にも重ねた生地がこすれるような静かな音が、この薄暗い浮上の場に響き――
「……おい、ジャン、なにを――」
いきなり、この場に現れたジャン、ジャンカルロは……座るルキーノの上に身をかがめるようにして、動き、彼の目の前でしなやかで長い手指を動かしていた。
Shhh...
立てられた人差し指が、彼の口に接吻されていた。そこから漏れる音は、母親が騒ぐ悪童を寝かしつけるときのような、静かな、沈黙の矯正の音、声。
「お……おい、ションベンするんじゃないのか」
ルキーノは、抑えた低い声でジャンに抗う、が。
「――……」
そのルキーノの声を、やさしく無視して――目の前の男が、両の手をゆっくりと動かしていた。
「ジャン……?」
……こいつは――目の前の男は、ジャン、彼らのカポで、仲間で、そしてルキーノにとっては何よりも大切な……男の――ジャンカルロ、だった。そのはずだった。
ルキーノの脚を割っているコンプレートのスラックスと靴も、上着もチョッキも脱いで腕まくりしているそのシャツ姿も。そこから見える手も、そして最近髪を切るヒマもなくて若干伸ばし過ぎの、あの金色の髪、そしてあの細っこいアゴの上に乗っている顔……。そして、ふと気づくとルキーノの鼻腔と舌の奥で転がっている、独特の香り。こればかりは、ベルナルドの趣味で選ばれたコロン、そして彼自身の汗が混じった、この独特の匂いはまちがいなく、ジャンカルロのそれ――そこに、煙草の薫りと、料理をした時の熱い炭の匂い、何かの脂とソースのそれがかすかに混じった、この匂いは…………。
「ジャン……? おい、なあ……」
不安になってしまったような声が、ルキーノの口を震わせる。
目の前の相手を見ようとしたルキーノは……カッツォ、いまいましい電灯だか、明かりが逆光のようになっていて――相手の、ジャンの髪が光っているようで……その顔は、さっきまで寝ぼけていたルキーノの目には眩しくて、見づらかった。
ただ……ジャンが、何か、笑っている――いつものように、ガキっぽい、悪戯を考えた時のような笑みを浮かべているのがルキーノにはわかっていた。ルキーノも、口にはしないが彼のお気に入りのそのジャンの顔、笑みに、何か気の利いた痛罵でも返してやろうと、酒でモヤのかかっているアタマを、振った。
その彼に、また。
「Sh…………」
今度は、短く沈黙の矯正が、吐息のような声になって降ってきた。
ルキーノは、さっきから“らしくない”ジャンカルロの仕草に、少し腹をたて――だが、それはいつもの愉快さの反応で――ルキーノは、目の前のジャンを、その額を、指でトンと押してやろうと、手を……。
その手に、ふわっとジャンの手が、触れた。
「……? ……っ、な――ジャン……?」
今日は、午前中から店の厨房で仕事をしていたという、水気と熱で赤らんだジャンの手が、その手と比べるとレンガか船べりの木材のように見えるルキーノの手をとって――それを、自分の、ジャンの腰のベルトのあたりにそうっと、だが強引に持っていっていた。
「…………」
「お。おい、なん、の――」
その、意外なほどの力の強さと、ジャンの腰のベルトと生地の感触にルキーノはあっけにとられていた。いったい、なにを……? ルキーノは、乾いていた自分の口と喉が、ゴク、となってしまったのを感じる。
そのルキーノの髪に――
「…………」
ふわり、と。そしてざくりと、ジャンカルロの両手が、その手指が包むように触れて。そして、そのかすかに湿った指が、ルキーノの髪をくしけずるように、髪のセットを解くようにしてそうっと、包み……その大きな頭蓋をひきよせていた。
「……あ、あ……? ッ――」
なんだ? と思う間もなく……その指の感触、それは愛撫、だった。それに絡め取られたルキーノは、子供のようにジャンの両手に抱かれ、そして。
「……っ……。フ…………」
「……! な、ジャ……ン……お、おまえ……」
ルキーノは、暗い足元に落とされ、まったく役に立っていない自分の目の奥で、アタマで、何かの宗教画の天使と誰かのように自分がジャンに抱きかかえられているのを感じていた。
ありえない――こいつは、一体何を……?
いったい、何をしている……!?
何のつもりで、俺を――
――否……違う。“何”を、“なに”が、ここで始まっているのか。それは、ルキーノにとっては酒を飲んだら血が熱くなるのと同じくらい、わかりきったこと……。
だが、それが“ここ”で始まってしまっていること。
そして、相手が――まさか、よりによって……いや違う。まさか、ジャンが――
……ジャン相手に、男のアイツ相手に、カポのジャンカルロ相手に、そういうことを毛筋ほども考えたことがない――とは、ルキーノは天国の門ではもう誓えない自分になっているのは、わかっていた。
だが――
それを現実にしたり、考えたりすることすら有り得ないとルキーノは自分の中で自分と手打ちをしていた。が……そんなことは、絶対にないと――仮に、もし仮に相手がオンナだったら、向こうがこちらに惚れる危険もあるとは思っていた。が……。
相手はジャンカルロ、だ。男……それも、俺たちのカポ、本物の男だ。
絶対に、無い。聖母が実際に降臨するくらい有り得ない、はずだった。
だが――
「……。…………」
ジャンは、ジャンカルロはルキーノの頭蓋を、静かな炎のような髪に手指をうめていた。
そのジャンの胸元に抱き寄せられたルキーノの広い額にはじわり、汗がにじむ。
「……ジャ……なあ、おい、おい……? やめろ、よ。いいかげん――」
自分の言葉が、ティッシュよりも頼りなくブレている。
ルキーノは、マヌケそのままのスタイルで動けない自分を感じ、うろたえながら――血圧と心臓の鼓動が400を走っている時のようになっている自分にも、気づいていた。腰のあたり、筋肉と内臓の奥底に火がついてしまっていた。
……ありえない。男の、しかもジャンカルロだぞ……!?
だが――
「……フ……ゥ…………」
ジャンカルロが、自分の頭の上で笑みの混じった熱いと息を吐いていた。
ルキーノがハッと気づくと、さっき誘導された自分の手がジャンカルロの腰に、ベルトに親指をかけたまま、残りの指は生地越しに伝わってくる熱さと感触を食っていて――自分でも気づかないうちに、そこにもう片方の手が伸びていた。
自分の手指の下で、ジャンの腰がにじるようにしてかすかに、揺れる。
――この感触、この流れ、そしてこの熱さは……。
間違えるはずもない。
これは、恋人たちの逢瀬の、それ……。
否、恋人でなくても、ある、行為……。
有り体に言えば、セックス、その導火線の……愛撫――
自分が間違えるはずはない、だが……。
ルキーノは、首を振って、様々のものを振り払おうとするが、出来ない。できなかった。
「……ジャン、お……おい……。ふざけ、て――この、カーヴぉ……」
「……ン――……。フフ……」
ジャンの手と、身体とに捕らえられたまま、ルキーノは言葉の抵抗すら濡れたティッシュのように払われてしまっていた。彼の頭蓋と髪を捉えていたジャンの手が、そういう温かな液体か水銀のように流れ、ルキーノの耳朶と、汗ばんでいた首を撫でていた。彼の爪先が悪戯して、ルキーノの首の鎖がチリと音を立てる。
……まずい。
ルキーノは、その気になれば片手で持ち上げて退かせたり、ドアの向こうまで突き飛ばせるはずのジャンカルロの身体を前に……だが、そこに波止場のボラードでも打ち込まれてしまっているように動けないルキーノは、熱く濁ってしまっている息を吐いて、薄暗い明かりの下の空気を吸って……落ち着こうと、抵抗する。
だが……。
「……ン……」
「……く、っ……。カッツォ、この、冗談は……。……ッ……」
ルキーノが、新しく襲ってきた感触にぎょっとして、言葉を飲み込む。
ジャンの足が――さっきから、クサビか、鉄道の始点にぶち込まれる金の犬釘か何かのようになって、座るルキーノの両足の間に割って入っているジャンのスラックスが、ルキーノの膝と太腿の内側にじわっと触れて、いた。
……まずい。俺は――勃起している……?? それも、最近なかったほど――
「……フ……」
ジャンが、笑うような、何かが我慢できなかったような息を漏らしながら――自分の足で、ルキーノの脚の内側を撫でてゆく。二種類の生地越しにも、はっきりとジャンの足が熱く汗ばんでいるのがわかるのがルキーノにはわかって、そして、
「……く……! しょ……正気、かよ……? おい、ジャン……ぬ……」
自分が童貞のときのそれよりも、500倍は情けない声しか出せないルキーノは、じわり、自分の太腿の内側にすべり、また戻り、そしてまたもっと奥にじわりにじり寄る感触に、こらえきれず、もっと情けないうめきを漏らす。
「…………」
かすかな、衣擦れの音。お互いがひと幅で100ドルするようなコンプレートの生地が、まったく想定外の使われ方と接触でこすれ――ルキーノは、ジャンの手で愛撫されるがままの頭蓋、そして落とされた視界の中で、あと数インチで、ジャンの足が自分のズボンのそこに……いまさら、ごまかすことは不可能なほど固く、限界まで膨れている股間に触れてしまうのを見、
「……ま、まて、って……。ジャン、まずい……降参だ――お、おい……」
「……ン、フ……」
半分、意味不明になっているルキーノの言葉に、ジャンは残酷に愛撫を続け――だが、ルキーノの勃起の熱が刺さるほど寄っていたジャンの足は、また、そういう液体のようにギリギリのところまで寄って、そしてまた下って……残酷に、ルキーノの興奮と狼狽を置き去りにしてゆく。
「な……。……この、ファック、くそ……」
愛撫の感触を、そこだけ無視されたズボンの中の怒張が、そのつれなさにまた怒り狂って硬度と熱さを増したのが、ルキーノにはわかる。血液をそこに取られ、目が眩みそうな感覚――身体の中に残っていた生酔いの酒が、この熱で全てすっ飛んでしまったような、感覚。
「……は、あぁあ……! くそ、もう、その……いい、だろ、ジャン……? 離せよ、その……すこし、その、ハナシを――」
酸欠になりそうだったルキーノは、薄暗い空間の中の空気を肺にため、吐いて……だが、その呼吸の中、ジャンカルロの身体の匂いが……こいつも、身体が熱くなっているのか――鼻腔と脳髄の奥が覚えている、ジャンカルロの汗と、その汗でむれたシャツと、髪と……体温で目覚めた香水の薫りとが混ざった空気が、どんな愛撫よりも深く、ルキーノの背骨の奥に突き刺さる。
まずい、と思った時には――
「く、そ……この……!」
「……ゥ、っと…………。フ、ふ……」
自分の手が、ジャンの腰を、スラックスの尻に爪を立て、持ち上げるような勢いでその感触を貪っているのをルキーノは感じる。自分が、自分の意識と身体が、衝動に支配されてしまっている、まずい。
ルキーノは、息を吐いて呼吸して、落ち着こうと――だが。その呼吸は、間抜けな犬、興奮しきったそれのようになって、このトイレの中で響いていた。その荒いルキーノの息に、ジャンカルロがからかうような笑みと吐息を混ぜて、彼の指が、ルキーノの開いた唇をそうっと撫でて――
「……ぐ――」
ルキーノの頭の中で、ビリ、と何かが裂ける音が、した。
「くそ、この……! もう、冗談じゃすまない、ぜ……!」
いつものように、兄貴分の矜持に凄みのピールを添えて言った。つもり、だった。が……その声は、何かの間違いで録音されたら、一生脅されるのに十分な情けなさだった。
だが、ルキーノの手は――衝動の方の命令を聞いていた腕と、手は、抱えていたジャンカルロの腰を強く、つかんで、そして……ナイフで、自分を切るときのような一瞬の覚悟を矯めた右の手指は、
「……。……ッ! ふ、ぁ……」
ジャンのスラックスを撫でて――もう、触らなくてもわかる。生地がめくれて、ファスナーの金具が覗けそうなほどに、ジャンカルロの股間もオスのそれになって、勃起していた。そこを、大きなルキーノの手が無遠慮なほどに掴み、一瞬だけぎょっとし……そして撫でると、彼には見えない頭上のジャンカルロの顔、口から苦痛の混じった熱い息が漏れてルキーノの髪に染み込んでいた。
「……ん、ッ――……。は、ハ……」
「……あ……。す、すまん、その、痛かったか――」
考えてみなくても、他人のペニスを、こんなにも硬くなったそれに触れて、それもこんな風にするなど初めてだったルキーノは、童貞のときのそれよりも情けない声で……だが、その手は止まらず、意外とデカイそのジャンカルロの感触にドキッとしながら、も――
「……フ、ゥ……! あ…………」
自分の手の動きに、頭上のジャンの唇が、目の前の胸板が震えて声を漏らす。その反応に、ルキーノは自分の鼻の奥がズンと痛くなるほど興奮して……どうするべきか、まったくわからないペニスへの愛撫に戸惑いながら、それを続ける。
「……ァ、う……。ン、ん……っ……」
「……く……そ、カッツォ、なんて声だしやがる――」
「……フ、ふ……。……だって――」
ジャンが、何事か囁き……ぎゅうっと、ルキーノの頭蓋を抱きしめていた。
気づくと……さっきは生殺し、寸止めだったジャンの足が、今度は、今は――ゆるやかな火が燃え上がりそうな力で、ルキーノのズボンの奥の怒張に触れて、膝とすねで自慰するようにジャンの足がうごめき、にじり、離れ、そしてまた上下をしていた。
「く……! くそ、なんだこれ……童貞坊主じゃ、あるまいし……」
ルキーノは、自分が負け惜しみそのままの声を出したことに気づいて、ジャンの胸元で舌打ちし――それでも、ジャンの腰に回していた方の手をシャツの背中に回して彼の身体を引き寄せ……さっきより強いジャンの体臭、かすかに、大昔に罵倒した犬っぽい匂いがエッセンスになったその匂いを吸い込みながら、
「……ふ……ぅ、は……! くぅ……」
汗と体温で湿っていたジャンの白いシャツ、引き寄せたそこにルキーノは高い鼻と、大きい口をうずめて、這わせ、キスし――もう、自分は終わったな、と脳の何処かで感じながら――その口で、唇で、ジャンの痩せた肋を、その上の胸板をキスして、そこに固く尖っていた乳首に、自分の予想よりずいぶん小さなそれにペニスのように鼻を這わせ、舌で湿らせ、キスし、小さく歯を立てる。その感触に、
「……ッ! ……ぅ……あ、は……!」
ギクッ、とジャンの背中が硬くなり、一瞬、ルキーノを突き放すようにジャンの腕がこわばって――だが、次の呼吸が始まるときには、ジャンは便器に腰掛けた恋人にもたれかかるようにして、強く、その身体を抱いていた。
「……ハ、ハハ……、カッツォ……。もう……くそ……」
頭の何処かで、前に映画で見た何かのアニメの妖精が、魔法ステッキを振り回して踊っていた。ルキーノはその幻覚の中で、ジャンの胸板にキスし、ベルトとスラックスの奥、ハッとするほど柔らかく感じるジャンの腰、尻に鉤爪じみた手指を這わせて、引き寄せる。
「……ン、っ……ん……。な…………?」
ジャンが、またルキーノの髪の中にささやいて――
「な、なん……だ――……。……く……ふ……!」
「ッ、ン――」
倒れ、崩れ落ちるジャンの身体、とルキーノが思ったときには、ジャンの顔が――
「…………フ……」
その蜜のいろをした瞳が、一瞬だけ、ルキーノの目を覗きこんで――だが、その瞬きが消える前に、驚いていたルキーノの口に、鳥がえさをついばむようにしてジャンカルロが自分の唇を這わせ、噛み付くようにしてキスをねだっていた。
「……! く……ぬ……ッ……、は、ぁ……」
「……ふ、ァ……あ……」
ルキーノは、芯のあるやわらかな感触に口でむさぼりついて、力が抜けてしまったようなジャンの身体を抱き上げるようにしながら……キスを、続ける。
「……む、ゥ……は……!」
ジャンを窒息させるように、大きな口が塞いで、また離し――大きなルキーノの鼻が、何度も位置を変えながら、その下の唇が、なにかねだるように開いたジャンの口に舌と唾液を這わせて、吸って――
「……ゥ、あ……はぁ……ァ……」
酸欠したようなジャンの吐息に、またルキーノが唇でかぶさり……キス、と言うよりはセックスのそれで、ふたつの口は、唇と口腔、舌は体液でからみあって――
「……く……。ハ、ハハ……、ジャン……」
自分も、舌が痛くなるほどのキスをしたルキーノがジャンを抱きしめ、その耳元に声の愛撫を流しこむ。名前を呼ばれ、とろけたような息を漏らしたジャンの、その腕が、
「……ん? どう、し……。な…………」
腕が、ルキーノを押し、離れると――
ジャンカルロは、仕立てのコンプレートが汚れるのも構わず、トイレの床にへたり込むように座り……便器に吐くときのように、しゃがんで……そこから、ルキーノを見上げる。
「……ジャン、おい――……」
だが、ジャンは言葉では答えず、また、
シー……と言うような声を漏らしたあと、ルキーノの破れそうなスラックスの勃起を前にして、なにか……何かを、シャツの胸ポケットからつまみ出して、いた。
「それ……。……」
「フ……」
ジャンカルロは、ひどく罪深く見える小さな四角い包みを口に、二人分の唾液で濡れた唇と白い歯で噛んで――そして、指と歯で、それをピッと裂いていた。
「……ハ、ハハ。……この、準備いいな」
「……ン――」
ジャンカルロは、包みから出した、おもちゃのような鮮やかなピンク色のコンドームを唇にはさみ、目で笑い、そして……。
「…………。フ、ゥー……」
ルキーノの両脚、便器の腰を下ろしたその脚のあいだで、ジャンカルロはその太腿の内側に両の手指を這わせながら……勃起に、にじり寄る。
「……ジャン…………」
カチャカチャと、ズボンの金具を外される音がひどく淫靡に響く。
ルキーノは、さっきのキスが残る唇をなめ……快楽の予感に息を吐きながら天井の暗い電灯を見上げる。チカチカするような、その電球――
「……カッツォ――」
ふと。いまさら、ルキーノの鼻腔に、何かの臭気が小さく刺さる。それは、自分がさっき垂れて、そして流すのを忘れたままになっている小便の、それだった。
ルキーノがそれを流してしまおうと手を動かすと、
「…………」
「……? な、なんだよ――」
ベルトを外し、やりづらそうにルキーノのズボンのを前開けていたジャンカルロが、その手を片方だけ止めて……鎖をひこうとしていたルキーノの手を、止めていた。
「……そ、そうか、音がすると……。――ッ……、う、お……」
ルキーノの口から、痛みのそれのような声が漏れた。
ギチギチのスラックスの前から、なかば無理やり開けたそこから……ジャンの手指が、自分でもひくくらいに勃起しきったペニスを引き出して、いた。
「……は、あ…………」
ルキーノが息を吐くと、そこに、
「……ン、ん…………」
コンドームを咥えたままのジャンカルロが、その顔、頬が、杭のようなルキーノの勃起にそうっと頬ずりして……その頬は、唇は、野太い血管をなぞるようにして愛撫し、そのまま毒液のような先走りをにじませていたペニスの先端に――――――